世の中には「労働者」と「経営者」の2種類の人たちがいます。
世の中の9割は雇われる側「労働者」です。
毎朝決められた時間に会社に行き、決められたルールの中で、決められた作業をします。
お金のために働き、他人がつくったルールに従い、まわりや自分の評価は他人が決めることになります。
一緒に働く人は自分の意志でコントロールできないし、毎月決まった給料をもらい、その中でやりくりする。
責任は増えても給料はそこまで変わりません。
基本的には、とりあえず会社に行って決められた作業をしていれば、毎月の給料をもらえるので、そのうち「お金を得るためには会社に行けばいい」と思うようになり、会社に行くこと自体が働くことだと思い込んでしまいます。
はたまた経営者の働き方は、
ルールは自分が有利になるように自分で好きにつくることができます。
毎日好きな時間に起きて、好きな時に好きな場所で好きなことをすることも可能です。
一緒に仕事をするひとも、ひとりで仕事をするかも自分で決めることができます。
お金は自分で稼ぐ必要がありますが、稼げる可能性に上限はありません。
どちらをあなたは選びますか?
ちなみに、現代はネット社会です。
何かしらの店舗を持ち、在庫を抱えるような経営でなくても、インターネットさえ繋がる環境さえあれば、好きな場所でどこでも稼ぐことは可能な時代です。
それをふまえて、どちらの働き方を選ぶのかは、あなたの判断なのです。
どちらが正解でもありません。
わたしは、自分で稼ぐ生き方を選びました。
他人に自分の評価をされ烙印を押され、他人のつくった常識の中で押さえつけられて生きていると、そのうち自分の思考が停止し始めます。
誰かの指示に従う、自分で考えなくていいというのは楽なことだからです。
だからこそ、人は服従することを選んでしまう性質があるのです。
わたしはそうではなく、自分自身で稼ぎ、経済的にも時間的にも自由になりたい。
自由になることで、やりたいことが制限なくできるからです。
また、自分で稼ぐということに、単純に魅力を感じたのです。
会社から給料をもらうということは、会社に依存しています。
「○○会社の○○」という肩書を取って、個人で通用する人はどれだけいるのでしょうか。
自分にはスキルも人脈も何もないし、自分で稼ぐなんて絶対にできない、という固定概念に縛られていたからなのか、自分で稼ぐなど、今まで頭をよぎることすらありませんでした。
でも、実はこういった固定概念に囚われている人が大半です。
気づくか気づかないか。
やるかやらないか、だけの差なのです。
安心していていいの?
厳しい時代は必ずやってくる
一般的な人は「会社に就職して給料をもらう」という働き方です。
あなたのまわりにいる人たちも、そうではないでしょうか?
わたしも物心ついた時から、両親も親戚もまわりにいる大人はそうやって働いていました。
就職するということは、その会社と「労働契約」を結ぶということです。
労働契約とは、自分の時間を差し出し、その対価としてお金を得る契約なんですよね。
自分の時間(命)を差し出してお金を得るという点でいうと、時間単価が高いか安いか、待遇が手厚いか手厚くないかの違いはあると思いますが、正社員も派遣社員もアルバイトも同じです。
でも、この「自分の時間をお金と交換する」という行為や思考は非常に危険なのです。
なぜなら、時間はあなたの命そのものだからです。
人生は一度きりです。
会社に、あなたの命を差し出す働き方で本当にいいのですか?
働き方は、生き方にも直結します。
ひと昔前、日本がちょうど高度経済成長期だったころ、わたしたち日本人は長時間労働を自慢する社会で、自分や家族より会社のために尽くす人たちがたくさんいました。
というのも、その頃は労働集約的要素が強かったので、社員の労働時間が長ければ長いほど会社の業績は上がったからです。
会社の為に忠誠を尽くし、深夜残業も休日出勤も喜んで引き受ける社員を重宝がられ、世間的にもそういう人が高く評価されました。
今のようなパワハラやメンタルヘルスという概念すらもありません。
働く側も終身雇用が前提となっていたので、定年まで面倒を見てもらうのだから、会社に忠誠を尽くすのは当たり前だと考えていたんですね。
それに、残業をすると「残業代」を手にすることができます。それは形を変えた生活給、ということです。
そのため、さっさと仕事を終わらせて定時で帰るよりも、昼間は公園や喫茶店などで過ごし、夜になったら会社に戻り遅くまで仕事をする方が、当時のビジネスマンにとっては合理性のある働き方だったとも言えます。
もちろんすべての残業代が払われるわけではなかったと思いますが、定年まで失業の心配もなく、老後は年金で悠々自適の生活が保障されていたので、この働き方でみんな生きてきたのです。
シンプルに言ってしまうと、会社は社員を定年まで面倒を見る。
そのかわり、社員は会社に忠誠を誓い人生の時間を捧げる。
そういう時代だったのですね。
でも、時代は大きく変わり始めています。
今の社会ではそのような働き方は受け入れられませんし、逆に会社より自分の生活の方が大切だという考え方にシフトしています。
さらにインターネットが普及し、働き方も生き方も多様化する時代に進んでいます。
つまり、あなたが何を選択するか、
それだけなのです。
結局はまわりに
嫌われたくないからじゃないの?
例えば、夜遅くまで会社で残業をしているとき「自分は会社の為にこんなに頑張っていて役に立っている」と感じたことはありませんか?
定時で仕事を切り上げて帰ろうとしたときに、多少なりともまわりに罪悪感を感じたことはありませんか?
もしあなたが少しでも思い当たるふしがあれば、一度考えてみてくださいね。
自分は頑張っていて会社の役に立っている
→まわりに評価されたい
定時で上がることの罪悪感
→まわりに嫌われたくない
つまり、あなたがまわりの為に頑張っていると思ってやっていることは、実は自分のための裏の目的である「まわりに好かれたい、認められたい」という承認欲求からきている要素も大きいのです。
自分だけ定時に上がると、まわりに悪いなという罪悪感を感じてしまい帰りづらい。
でも、本当はその行動によって自分がまわりにどう思われるのか、という不安な気持ちの方が強かったりします。
つまり、まわりに嫌われたくないのです。
でも人に嫌われるかどうかなど、あなたが決めれるものではありませんよね。
あなたを好きになるのか嫌いになるのかは相手が決めることです。
相手の判断にすがるのではなく、自分がどうしたいのか、をブレないようにしてくださいね。
そういった本質的な部分を見極めていけば、あなたがこれからどういった働き方、生き方を選択するのか見えてくると思います。