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とうとう真面目な人ほど損をする時代になりました。

真面目な人は、損をします。

なぜそう断言するのか?

まず、最初に「真面目」について、お伝えしておきます。

3分ほど、お付き合いくださいね。

 

 

真面目とは、人の性格や様子についてよく使われる言葉ですが、本来は「真剣な態度や顔つき」「真心がこもっていること」を意味します。

わかりやすくいうと、嘘やいい加減ではなく、誠実であるということです。

ですので真面目であることは、本来とても良い意味です。

 

ただ度すぎてしまうと、周りとのズレが生じたり自分自身が損をしてしまうことがあります。

 

「あの人は真面目な人だ」と評価されると、一見褒め言葉に聞こえるかもしれませんが、実際は「都合のいい人・頭が固くて融通が利かない人」という意味も含まれているかもしれません。

特に今の時代は、真面目すぎるとうまく世の中を渡れなくなってしまいます。

真面目が良いとされた時代

 

私たち日本人は、家庭の教育でも学校教育でも『真面目であることは良いことだ』という教育を受けているため、大人になってもそう思っている人が少なくありません。

 

なぜそういった教育が根付いているのでしょうか。

今までの私たちの教育は、すべてのことを平均的にできる「労働者」を育成するために作られているといっても過言ではありません。

「ひとつ飛びぬけたスキルはあるけれど、その他は何もできない」という人材よりも、「すべての作業を平均的にできる」人材が多く必要だったのです。

 

学校の通信簿を見てもわかるとおり、各学科すべて平均点になるように指導されてきたと思います。

 

真面目に我慢して耐えていれば、最終的に幸せになった、というストーリーの絵本もたくさんありますよね。

実際に真面目にやっているだけで上の人が引き上げてくれたり、信頼や評価を得ることができました。

だからこそ、昔は特に「真面目が良い」とされてきたのですね。

 

真面目は「都合のいい人」

 

残念ながら、今の時代は昔とは違います。

今は、自分の人生をいかに自分らしく生きるか、そこに重点を置いた時代に移り変わってきています。

ただ真面目なだけでは、自分らしく生きることができず、社会にとっての『都合のいい人』になってしまうことがほとんどです。

大成する人や出世する人も、決して『真面目な人、いい人』ではなかったりしますよね。

自分のやりたいことや意見を主張できる力を身に付けた人が、自分らしく生きられていたりするのです。

 

私たちは小さな頃から「真面目でいい人になりなさい」「真面目であればきっといい事がある」といった教育を知らず知らずのうちに受けてきましたが、決してそれは必ずしも正しいとは言えません。

 

真面目な人は、仕事を押し付けられても断れなかったり、時間外に無給で働いてしまったり、真面目な人ほど会社の奴隷になっている人が多くいます。

 

そして、まわりから見ると「ただの都合のいい人」になっているのです。

 

さらに真面目な人は、『努力なしでは成功は手に入らない、手に入ってはいけないもの』だと考えてしまうところがあります。

そのため、簡単に入る成功を疑い、自ら放棄することだってあるのです。

 

 

現代はというと、無駄な努力を省き、いかに楽な最短ルートで自分の希望を叶えていけるか、ということの方が重要になっています。

 

魚をさばくために何年も修行しなければならない、といった時代ではないのです。

いかに早く、自分の目標に辿り着けるかという本質を見抜ける人こそが、成功していくのです。

 

きついようですが、真面目でいい人に捉われていると、今の時代では本当に損をするだけになってしまいます。

 

本当の意味の「損をする真面目」とは

 

先ほどお伝えしたように、「真面目であるゆえに、会社の奴隷になっている」というのも、ある意味損だと思いますが、本当の意味で「真面目が損をする」とはどういったことでしょうか?

まず、私がこれからお伝えする、損をする真面目とは、
どういったことを指すのかを、先にお伝えしておきたいと思います。

これから私がいう損をする真面目とは、単純に責任感が強くルールを守るというような表面的な真面目のことではありません。

真面目な人は、他人からの頼みごとを断れなかったり、完璧主義で疲れたりということもありますが、責任感が強く、コツコツとひたむきに目の前のことに打ち込めることも、強みであり長所だからです。

今回、私がお伝えしたい損をする真面目な人とは、
無意識のうちに「真面目=絶対的に良いこと」という思考が強い人とです。

なぜ、それが損をすることになると思いますか?

まず、こういった思考が強い人たちの根底には、常に「真面目にならなければ、しっかりしなければ」という強い意識があります。

そして「真面目であることが、絶対的に良いことと思っている」ため、真面目でない人に対して、ストレスや怒りを持ちやすくなります。

例えば、会社で真剣に仕事をしていないような人、残業をせず定時に帰る人に対して、「なぜあの人は、真面目に仕事もしていないのに定時帰るんだ」と、怒りを持ちやすくなったりするのです。

自分の中で「真面目であること」を絶対的ルールとして守っているため、他人がそのルールの基準を満たしていないと許せなくなってしまうのです。

 

そして、自分が我慢してルールを守っている分、余計に怒りが湧いてくるのです。

さらに、「真面目は正しい」という視点で物事を判断してしまうため、

「私は正しいことをしているのだから、きっと誰かが見ていてくれるはず」

「これだけ我慢しているのだから、きっと神様がご褒美をくれるはず」

と考えるようになったりしてしまいます。

「きっと誰かが救ってくれる」という思考は、ただのエゴでしかありません。

あたかも自分が悲劇のヒロインになったかのように組み立て、結局、他者から幸せをもらうのを待っているだけです。

「私はこれだけのことを我慢しているのだから、きっと幸せをもらえるはずだ」と見返りを求めてしまっているともいえるのです。

「これを頑張ったら成長できるかもしれない」
「今こういう行動をしていたらいい波に乗れるかもしれない」
といった思考とは、大きく違います。

その意識・思考が、
『他者に向いているか、自分に向いているか』なのです。

「誰かが見ていてくれるはず、評価してくれるはず」
「我慢していれば、いつか報われるはず」

そういった他者に何かを期待することは、あなたの希望を他者に押し付けているだけで、あなたは他人を動かすことも変えることもできないのです。

そういった思考は、自分とは考えが違う他者を受け入れる器も小さくなります。

厳しいことを言うようですが、
世の中は頑張っているだけでは報われないこともたくさんあります。

世の中、成功している人がみんな真面目ではありませんし、真面目な人が正しいわけでもないのです。

だから、決して努力や我慢が報われるとは限りません。

真面目にコツコツやれば成功するなら、みんな成功しているからです。

「努力は必ず報われる」という言葉がある一方で、「努力しないでも報われることがある」ということも、この世の中にはたくさんあるということを認識しておく必要があります。

現実では、努力せずに大きな結果や成果が得られることもたくさんあるのです。

ですので、そういった「真面目に努力をしたかどうか」に捉われないことが、他人に対して「ずるい」と感じなくなる第一歩なのです。

あくまでも、自分は自分、他人は他人です。

だから「真面目=絶対的に良いこと」という固定概念に捉われてしまうことは、非常に危険で損なのですね。

これからの時代は、真面目というだけでは評価されないようになります。

我慢ばかりをして窮屈に人生を過ごすのではなく、
いかに、みんながそれぞれ自分らしく生きていけるか。

そういったことが人々の関心を寄せる時代になってきます。

自分の正義だけで物事を良いか悪いかを考えるのではなく、いろいろな視点で物事を柔軟に判断できることができれば、きっと真面目なことは、人から信頼されるすばらしい長所・武器になるのですから。

 

PS.

先日、ふと海を見たいなと思い立ち、弟と熱海に行ってきました。

ロマンスカーは、平日だからなのか貸し切り状態↓

ゆったり座って、景色を満喫。

 

その日の気分と思いつきで、自由に過ごせることが一番の楽しみ。

 

おいしそうなパン屋さんでクロワッサンを買ったり↓

海辺を散歩して自然を満喫する。

いろんなことが自由になると、毎日生きていることが楽しくなります。

相当歩き過ぎたのか、帰ってきて2日くらいは疲れてダラダラ過ごしてしまいました(笑)